映画「どろろ」観てきました

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 新百合ヶ丘ワーナーマイカルに「どろろ」を見に行ってきました。結構な人気で、12時30分の回に間に合うように行ったのですが売り切れてしまい、15時30分の回で観賞しました。映画を観る前は、どろろ柴咲コウ百鬼丸妻夫木聡 が、自分の中の「どろろと百鬼丸」のイメージと違いすぎないか?が気がかりでした。なんせ小学生のとき、リアルタイムで週刊少年サンデー版と、第2部の冒険王版を掲載誌で読んでいて、1969年4月からの日曜日19時30分から放送されたTVアニメも欠かさず見ていた世代ですから。(年がばれるな~)
 思っていたほど違和感はなく、すんなり楽しめました。アニメ版の北野英明作画の青年・百鬼丸(声…野沢那智)が近い感じでしょうか? 原作では寿海が、木材で義手・義足を作り、室町時代のサイボーグのようだったのに対し、映画では、呪い医師寿海の医術と秘術によって、死んだ人の体から作られると言うおどろおどろしい設定でした。武器も、まんがでは腕に仕込み刀、足に焼け水、鼻は爆薬など体中にあったのが、両腕の仕込み刀だけでした。そのほか室町時代から「賢帝歴3048年」という架空の年代を舞台にしたアレンジもよく、世界観の構築はうまいと思います。ただ「ばんもん」を使うのであれば、一つの村が争いに巻き込まれて「ばんもん」という壁に分断されてしまったエピソードがないと、ベルリンの壁板門店に対する風刺が活きなかったかと思います。
サンデー版第1部の、打ち切り的な終わり方(アニメ化に向けての一時中断だったんでしょうけど、小学生低学年にはわかりません)や、冒険王版第2部の、百鬼丸の48体の魔神にとられた体の部分で作られたどろろ、そして48体の魔神を倒すかどろろを殺して一気に体を取り戻すか、百鬼丸が悩む設定。あの凄い設定も第1部+第2部で単行本になって、作者によって消されましたね~。マンガでは、百鬼丸は魔神を全て倒す前にどこかへ去っていってしまい、「その後百鬼丸の姿を見たものはいない」というラストでした。アニメでは、百鬼丸は最後の魔神である醍醐景光を倒して、体をすべて取り戻して終わったと思います。(もう昔の事なので曖昧です。ただ次の番組が「ムーミン」で、なんか変なモンがはじまったな~と思ったような気がします。)
さて映画のラストは…よかったです。ぜひチャンスがあったら見てくださいね。