「樺太1945年夏 氷雪の門」を観てきました

樺太1945年夏 氷雪の門」と言う映画をご存知ですか


 太平洋戦争末期の樺太を舞台として、ソ連軍の進攻が迫る中、最後まで電話交換を続けた真岡郵便電信局の電話交換手9人の悲劇を描いた、史実に基づいた映画です。

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 この映画が製作されたのは、いまから36年前の1974年です。1974年4月から東宝系劇場での上映が予定されていました。しかし、内容が反ソ的であると当時のソ連大使館から抗議があり、さらに東宝では、東宝・モスフィルム合作映画『モスクワわが愛』の公開が控えていて、上映を自粛してしまいました。
 その後東映が配給するのですが、規模を大幅に縮小、北海道・九州での2週間ほどの劇場公開となりました。一部名画座での限定上映や、ホール等での非劇場上映は何度かありましたが、永く幻の作品となっていました。
 2004年に発見された貴重なフィルムをデジタル化、各地で上映活動をおこない、そして完成から36年を経た2010年、デジタル上映という形でついに一般劇場公開を果たすことができました。

 思想的背景は無く、反ソ的表現もありません。反戦映画としての主張も控えめです。なぜここまでヒステリックになったのか、今となっては理解に苦しみます。
 樺太を描いた映画は他に無く、歴史的事実を確認する上でも貴重な映画です。
 いろいろな条件が重なって、お蔵入りされていた映画が、やっと公開されました。
 機会がありましたら、観てみてくださいね。

 特撮ファンから見ると、特撮監督が成田亨なので、ちょっとびっくりしました。円谷プロ作品で広く知られる特撮美術の成田亨…言われてみると、ライティングとかミニュチュアの撮影技法、水面の処理なんかは、あの時代の「ウルトラ」ぽかったです。
 また、ソ連戦車の進撃場面は、陸上自衛隊の協力をうけ、御殿場の演習場で撮影されました。陸上自衛隊の戦車(たぶんM41軽戦車…戦車には詳しくないので、違っていたらごめんなさい)がソ連戦車として登場していました。
実弾を撃つ本物の戦車は、迫力ありました。
 飛行機の操演とか、艦隊より砲撃されて爆発炎上する真岡の町とか、特撮もすばらしく、映画にリアリティを加えていましたよ。