多聞寺の狸様…2008年・隅田川七福神めぐり~おまけ~

隅田山吉祥院多聞寺(すみださんきっしょういんたもんじ)
 
 平安時代の中期、藤原時代の頃に草創されたと伝えられています。
 開山にあたった僧や草創のはっきりとした年月については不明ですが、ご本尊として不動明王を安置したと伝えられます。その頃は、大鏡明王院隅田寺(だいきょうざんみょうおういんぐうでんじ)と言っていたそうです。
 天正年間(1573-91)多聞寺は現在地に移転します。徳川家康が関東八カ国の領主として江戸へ入部した天正十八年(1590)のことともいわれますが、確かな文書はなく不明です。ただこの天正十八年に隅田川が大氾濫を起こし、家康がただちに堤防修復を命じたことが『天正日記』に記されており、この時代に移転したと考えられています。
 現在地に移転後は本尊に『毘沙門天像』を安置し、隅田山吉祥院多聞寺(すみださんきっしょういんたもんじ)と改めます。
 

別名・狸寺


茅葺の山門をくぐって左側に「狸」と刻んだ碑があります。
「狸塚」です。

イメージ 1


その由来が書いてありました。

狸塚のいわれ


イメージ 2


読み辛いので、書き写しました。
 むかし、江戸幕府が開かれる少し前、今の多聞寺のあたりは隅田川の河原の中で草木が生い茂るとてもさびしいところでした。
 大きな池があり、そこにはひとたび見るだけで気を失い、何か月も寝込んでしまうという毒蛇がひそんでいました。また、「牛松」と呼ばれるおとなが五人でかかえるほどの松の大木がありました。この松の根元には大きな穴があり、妖怪狸がすみつき人々をたぶらかしていたのです。
 そこで、鑁海(ばんかい)和尚と村人たちは、人も寄りつくことができないような恐ろしいこの場所に、お堂を建てて妖怪たちを追いはらうことにしました。
 まず、「牛松」を切り倒し、穴をふさぎ、池をうめてしまいました。するとどうでしょう、大地がとどろき、空から土が降ってきたり、いたずらはひどくなるばかりです。
 ある晩のことでした。和尚さんの夢の中に、天までとどろくような大入道があらわれて、
 「おい、ここはわしのものじゃ、さっさと出て行け、
 さもないと、村人を食ってしまうぞ。」
 と、おどかすのでした。和尚さんはびっくりして、一心にご本尊さまを拝みました。やがて、ご本尊毘沙門天のお使いが現れて妖怪狸に話しました。
 「おまえの悪行は、いつかおまえをほろぼすことになるぞ。」
 次の朝、二匹の狸がお堂の前で死んでいました。これを見つけた和尚さんと村人たちは、狸がかわいそうになりました。そして、切り倒してしまった松や、埋めてしまった池への供養のためにもと、塚を築いたのでした。
 この塚はいつしか「狸塚」と呼ばれるようになりました。


今日では、その名に縁のある狸の像が笹の陰から愛嬌のある顔を覗かせています。

イメージ 3


イメージ 4


今は、人々を苦しめてきた古狸の霊はその前非を悔いて、これらの像とともに近隣の人々や参詣に訪れる人達の守護にあたっていると言われています。

…なが~い日記になりましたが、これで「隅田川七福神めぐり」の日記は終了します。
まだまだ、面白いものや美味しいもの。見所など、いっぱいあります。
七福神めぐり」のイベントは、1月1日から1月7日までの短い期間ですが、普段でも下町情緒いっぱいのこの地域です。
機会がありましたら、是非お立ち寄りください。